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高松地方裁判所 昭和62年(ワ)64号 判決 1990年1月29日

原告 池内芳子

同 池内浩基

同 池内三惠

同 池内三千博

右法定代理人親権者母 池内芳子

右原告四名訴訟代理人弁護士 渡邊守

被告 富士火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 葛原寛

被告 住友海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 徳増須磨夫

被告 東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 松多昭三

右被告三名訴訟代理人弁護士 近石勤

同 井上昭雄

右近石勤訴訟復代理人弁護士 木田一彦

主文

一  原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告富士火災海上保険株式会社(以下被告富士火災という)は、原告池内芳子(以下原告芳子という)に対し、金一〇〇〇万円、原告池内浩基(以下原告浩基という)、原告池内三惠(以下原告三惠という)及び原告池内三千博(以下原告三千博という)に対し、各金三三三万円並びに右各金員に対する昭和六二年二月二八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  被告住友海上火災保険株式会社(以下被告住友海上という)は、原告芳子に対し、金七〇〇万円、原告浩基、同三惠及び同三千博に対し、各金二三三万円並びに右各金員に対する昭和六二年二月二八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告東京海上火災保険株式会社(以下被告東京海上という)は、原告芳子に対し、金一〇〇万円、被告浩基、同三惠及び同三千博に対し、各金三三万円並びに右各金員に対する昭和六二年二月二八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告芳子は、訴外亡池内昭二(以下亡昭二という)の妻であり、原告浩基、同三惠及び同三千博は、いずれも同人の子である。

被告らは、いずれも損害保険業を営む会社である。

2  保険契約の締結

(一) 亡昭二は、昭和六〇年六月一七日、被告富士火災との間に、左記の保険契約を締結した。

(保険の種類)   積立ファミリー交通傷害保険

(保険期間)    昭和六〇年六月二〇日から同六五年六月二〇日午後四時まで

(保険金)     被保険者本人死亡保険金二〇〇〇万円

(保険金支払要件) 運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者が急激かつ偶然な外来の事故により傷害を被り、その直接の結果として事故の日から一八〇日以内に死亡したとき。

(被保険者)    亡昭二

(保険金受取人)  被保険者の法定相続人

(二) 亡昭二は、昭和六一年一月二九日、被告住友海上との間に、左記の保険契約を締結した。

(保険の種類)   自家用自動車保険

(保険期間)    昭和六一年一月三一日から同六二年一月三一日午後四時まで

(被保険自動車)  車名仕様 トヨタ

登録番号  カ四四ミ八一八七

車台番号  CE七一-八〇〇一二〇 七

用途車種  自家用小型貨物自動車

初年度登録 昭和五七年

(車両保有者)   亡昭二

(保険金)     死亡保険金一四〇〇万円

(保険金支払要件) 被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、その直接の結果として死亡したときであって、かつそれによって被保険者に生じた損害について自賠法三条による損害賠償請求権が発生しないとき

(被保険者)    被保険自動車の保有者

(保険金受取人)  被保険者の相続人

(三) 訴外香川友の会は、昭和四四年頃、被告東京海上との間に、左記の二口の保険契約を締結した。

(保険の種類)   交通事故傷害保険

(保険期間)    昭和四四年一一月三〇日午前零時から一年間とし、以後保険期間満了の三か月前までに双方から別段の意思表示がないときは、毎年同一内容で継続する。

(保険金)     死亡保険金一口一〇〇万円、二口合計二〇〇万円

(保険金支払要件) 運行中の交通乗用具に搭乗している被保険者が、急激かつ偶然な外来の事故によって傷害を被り、その直接の結果として事故の日から一八〇日以内に死亡したとき

(被保険者)    亡昭二

(保険金受取人)  被保険者の法定相続人

3  保険事故の発生

亡昭二は、前項(二)記載の被保険自動車(以下本件自動車という)を自己のため運行の用に供していたものであるが、昭和六一年八月一七日午後五時一五分頃、香川県坂出市築港町二丁目坂出港西築港岸壁付近の道路において、右自動車を運転中、狭心症又は心筋梗塞発作のため運転操作を誤り、右岸壁から本件自動車もろとも海中に転落し、同日午後五時二五分頃溺死した。

4  保険金請求権の取得

原告らは、亡昭二の法定相続人であるから、前記各死亡保険金について、法定相続分に従い、原告芳子は二分の一、その余の原告らは各六分の一を取得した。

5  よって、保険契約に基づき、原告芳子は、被告富士火災に対し、金一〇〇〇万円、被告住友海上に対し、金七〇〇万円、被告東京海上に対し、金一〇〇万円、原告浩基、同三惠及び同三千博は、被告富士火災に対し、各金三三三万円、被告住友海上に対し、各金二三三万円、被告東京海上に対し、各金三三万円並びに右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月二八日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3の事実中、「狭心症又は心筋梗塞発作のため運転操作を誤り」との点を否認し、本件自動車の転落時刻及び亡昭二の死亡時刻は知らない。その余は認める。

3  同4の事実は否認する。

三  抗弁

1  保険金不払特約

亡昭二と被告らとの保険契約には、いずれも給付原因である被保険者の死亡が「自殺行為」によるときは、保険金を支払わない旨の特約がある。

2  亡昭二の自殺

亡昭二の死亡は、次のとおり自殺によるものであるから、右特約条項に該当する。

(一) 訴外株式会社池内鉄工建設(以下池内鉄工建設という)は、昭和二四年三月二二日設立された機械器具製作、修理及び販売業、鋼構造物工事業、一般土木事業等を目的とする会社であり、代表取締役は、亡昭二、取締役は、同人の実父母である池内忠信、同サカエという同族会社であった。右池内忠信は、八一歳の高齢であり、池内サカエは、七八歳で、二〇年くらい前から入退院を繰返し、最近三年間は、植物人間となり、寝たきりの状態が続いている。又、亡昭二の妻である原告芳子は、池内鉄工建設の経営などには全く関与していなかった。池内鉄工建設の経営は、一人亡昭二の双肩にかかっていたのである。

ところが、池内鉄工建設は、鉄鋼不況により、受注があっても利益率が低く、昭和五八年度は、一一万円余の利益を出したものの、昭和五九年度は、一二七万円余の、同六〇年度は、一六八〇万円余の損金を出すに至った。特に、昭和六〇年一二月ころより受注が減少し、かつ、それまでの設備投資などで銀行から借り入れていた金利が増大したため、利益率が減少し、損失が増大し、経営不振に陥った。

同社は、昭和六一年五月三〇日高松地方裁判所丸亀支部に破産申立をしたが、負債総額は、二億八〇八八万円余に達していた。同社は、同年六月二六日頃破産宣告を受けた。

池内鉄工建設の債権者の内には、同社を相手に訴訟提起しているものもあり、亡昭二は、債権者の債権取立におびえていた。

(二) 亡昭二は、昭和六一年二月一五日綾循環器科内科医院(綾正二郎医師、以下綾医院という)において病名腸炎の診断を受け、同年三月六日まで同医院で通院治療を受けたが、再び同年五月二七日同医院において不眠症の診断を受け、通院治療を受けていたが、同年七月一六日狭心症の診断を受け、死亡に至るまで入院治療を受けていた。

昭和六一年八月四日ころ、綾医師は亡昭二の妻である原告芳子から「昭二は、最近死にたいともらすことがあり、自殺しないか心配である」旨の相談を受けた。そこで、同医師は、同月五日、氏原クリニック(精神科・神経科)の氏原敏光医師を紹介し、同日亡昭二は、同医師の診断を受けた。

亡昭二は、「昭和六一年二月ころから元気がなくなった。円高で一晩のうちに多額の金銭的損失を受けたため、大きなショックを受け、心労のあまり体重が減少してきた。真面目な性格でコツコツやる方である」旨の訴えをした。同人の表情は、抑うつ的で、口数は少なく氏原医師の質問に対しても、「今は夜もあまり眠れず睡眠剤を使用している。テレビも見たくないしラジオも聞きたくない。人ともあまり話したくない。ただじっと寝ていた方がいい」と答え、精神的にも不安定であり、無気力状態にあった。

氏原医師は、同人は抑うつ状態にあると判断し、病名「心因反応」の診断をし、精神安定剤、抗抑うつ剤を与薬し、週一回位の通院治療をし、経過観察をすることにしていたが、亡昭二は、その後通院しないまま、本件転落事故により死亡した。

右のとおり、亡昭二は、池内鉄工建設の経営が行き詰まるにつれ、腸炎、不眠症、狭心症等の病気となり、同人の真面目な性格からして、精神的重圧は、同人に重くのしかかってきたのであり、その結果、抑うつ状態になり、家族に死にたいともらすまでになっており、本件転落事故直前の亡昭二の精神状態からして、自殺の動機として十分なものがある。

(三) 本件転落事故現場付近は、東西に延びる幅員約一一メートルの道路(長さ約二〇〇メートル)の東端に位置し、岸壁には、一見してそれと分かる黄色と黒色の縞模様の車止め(高さ〇・一五メートル、幅〇・一五メートル、長さ約二メートル)が存在し、車止めから東方は海面であることは明瞭になっている。

亡昭二の自宅は、本件転落事故現場の近くであり、同人は、右場所で自動車の運転をしたり、散歩に出かけたりして、現場付近の地理は、十分知っていた。

本件転落事故の発生時刻は、八月一七日午後五時ころであり、現場付近は明るい状況にある。

本件事故後到着した坂出警察署捜査員の捜査によれば、現場付近には、ブレーキ痕、スリップ痕は、車止め以外には見当らず、車止めに残されたタイヤ痕からして、亡昭二運転の自動車は、ほぼ車止めに直角に、かつ相当な速度で進行したこと明らかである。亡昭二運転の自動車は、かなりの急加速で、岸壁からの飛び出す際の速度は、時速七一・一キロメートルと推定される。亡昭二運転の自動車は、しばらく海面に浮かんでいた後海中に沈没した。そして右自動車のドアはすべてロックされ、運転席側の窓だけが約一五センチメートル開いていた。

右現場の状況からして本件転落事故は、亡昭二の覚悟のうえの自殺としか考えられず、同人の過失行為であるとは到底いえない。

(四) 亡昭二は、綾医院に入院後も、度々外出、外泊をし、狭心症の症状でも軽症と言えるものであった。ことに、本件転落事故直前の八月一三日旧盆のため外泊を許され、綾医院から帰宅していたものであって、狭心症の発作などが起こったことは到底考えられない。

仮に、自動車運転中狭心症の発作等が起こったとしても、その場合は、自動車は蛇行するか、減速するのが必然と考えられるのに、そのような状況にはなかったものである。

亡昭二の死因を狭心症とする山地貞敏医師作成の死体検案書は、原告芳子の強い懇請によって、全く何らの根拠もなく、右山地医師が書き直したものにすぎず、到底信用できるものではない。

(五) 本件転落事故を捜査した坂出警察署は、現場の状況、関係者の取調べによって、亡昭二の死亡は事故死ではなく、自殺であるとの結論を出している。この点については、警察関係者は、何故か明言を避けているが、本件転落事故を報じた新聞記事すべてが転落原因は亡昭二の自殺によるものであるとしており、かつ坂出警察署の回答書が、死者及び関係者の名誉の保護を本件転落事故捜査書類の提出拒否理由としていることからも明らかである(事故死であれば、死者等の名誉の保護を提出拒否理由とするはずがない)。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実は認めるが、同2の事実は否認する。亡昭二の死亡は、次のとおり自殺によるものではない。

1  倒産した企業の経営者が自殺することは、世上ままあることであるが、それは、事実上の倒産で、経営者自身が事態の収拾にあたっているケースか、債権者の追求、叱責が厳しいケースである。本件では、法的整理手続に入り、破産管財人がガード役をしていたし、倒産から事故発生までに二か月近くも経過していた。また、債権者も取引債権者や親族・知人ばかりで、厳しく責任を追求されたこともなく、逆に債権者から和議を勧められていた状況である。

従って、亡昭二には自殺の動機がない。

2  本件では、亡昭二は、海中に転落する約二〇分ほど前に綾医院に電話して、明後日の昼食時まで帰院を延期する旨伝えており、その前には、従業員宅に事務打合せに行っている。自殺を思い立った者が、わざわざ事務打合せに行ったり、入院先に帰院延期の電話をかける理由も必要もない。架電をした後、自殺を思い立ち、二〇数分後に飛び込んだというのでは、あまりにも唐突すぎる。

このように、事故直前の本人の行動状況からして、本件で自殺はあり得ない。

3  亡昭二が狭心症を患っていたことは、綾医院入院前に起きた発作の態様や綾医師の診断所見に照らし明らかである。

亡昭二が、本件岸壁付近にドライブに来て、何回も周辺の道路を走行し、また、本件岸壁に向かって東進している時、突然、烈しい狭心症あるいは、その移行としての心筋梗塞の発作を起こしたとすれば、眼前に広がる海を見て、恐怖を感じ、急ブレーキをかけるべきところ、狼狽のあまり誤ってアクセルをふかしてしまった、或いは、ハンドルを切って転落を避けようとしたが、手が脱力状態になって、ハンドル操作が不能になってしまった、あるいは、また、締め上げてくる苦しさから逃れようとして、足を突っ張りアクセルをふかしてしまった、それらの結果として、海中に転落したということも十分可能性としてありうるのである。

亡昭二の遺体が解剖されず、物証が残っていない本件では、右に述べたことはあくまでも推測の域を出ないが、同じく推測にすぎない自殺の可能性に比べるならば、その可能性は、はるかに大きいものといえる。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因1、2の各事実、同3の事実中、亡昭二は、本件自動車を自己のため運転の用に供していたこと、同人は、昭和六一年八月一七日、香川県坂出市築港町二丁目坂出港西築港岸壁付近(以下本件転落現場という)の道路において、右自動車を運転中、右岸壁から本件自動車もろとも海中に転落し、同日死亡したこと及び抗弁1の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、亡昭二の死亡が狭心症又は心筋梗塞発作のため運転操作を誤ったことによるものか(請求原因3)、それとも自殺によるものか(抗弁2)について判断する。

1  <証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  亡昭二は、機械器具製作、修理及び販売業、鋼構造物工事業、一般土木工事業等を目的とする池内鉄工建設の代表取締役であった。

同会社は、昭和二四年設立され(当時の商号は株式会社池内鉄工所)、業績は順調に伸びていたが、経済不況のため受注があっても利益率が低く、昭和五八年度は一一万円余りの利益金を出すにとどまり、昭和五九年度には一二七万円、昭和六〇年度は一六八〇万円余りの損害金を出し、特に昭和六〇年一二月頃より受注が減少し、加えて設備投資のための銀行借入金の金利が増大したため、利益率が減少し、損失が増大したため事業不振となった。

そこで、同会社は、昭和六一年五月三〇日、高松地方裁判所丸亀支部に自己破産の申立をした。

これにより、同支部は、同年六月一〇日、同会社の財産について保全処分をなし、同月二六日、破産宣告をなした。破産管財人には弁護士宮川清水が選任された。

同破産管財人が昭和六一年八月二六日現在で作成した同会社の貸借対照表によれば、資産の部として、不動産七一六六万三〇〇〇円、動産一二一万一五〇〇円、売掛金(現金)四六〇万二五六三円、売掛金(受取手形)八三五万七六四二円、以上合計八五八三万四七〇五円、負債の部として、公祖公課等九五万八一六三円、抵当付債務九九六五万七〇二八円、従業員給料等二五八万一七九八円、買掛金・借入金九四六九万二六五八円、留保一億二九七四万六六九六円、以上合計三億二七六三万六三四三円、差引資産不足額二億四一八〇万一六三八円と報告されている。

破産債権者には、亡昭二に対し、厳しい取立、追求をなす者はなく、昭和六一年七月頃には、強制和議提供の話も出ていた。

同破産管財人は、「前記程度の赤字はどの会社も抱えており、それ程悪い資産状態ではなく、どうして破産申立をしたのだろうかとの印象を持った」旨証言しており、池内鉄工建設の破産申立は、代表取締役である亡昭二の会社経営に対する意欲、自信の喪失に主たる原因があったのではないかと推認される。

(二)  亡昭二は、昭和六一年二月一五日、腸炎で綾医院を受診し、その後同年五月二七日、同医院に通院した際右医師に対し、「身体がだるい、眠れない、少し吐き気がする」旨の訴えをなした。同年六月二一日に通院した際には、「三月頃からときどき胸が重くなる。動悸がする」旨の訴えをなし、同年七月一六日より狭心症の診断名で同医院に入院した。入院時の看護記録によれば、「今年始めより心配事多く、その事を考えていると、胸痛(-)、圧迫感(+)(五ないし一〇分)毎日(日により何回か)あり。時に動悸と軽い息苦しさ自覚。そのためか食欲あるも今年二月から今までに八キログラム痩せ、何をするも気力がなく、会話時も力が入らぬと。体力低下と夜間の不眠が特に気になる由(圧迫時、ニトロール舌下後少し良いようだと)」との記載がある。

亡昭二が綾医院に入院中の昭和六一年八月四日頃、同人の妻である原告芳子らが来院し、綾医師に対し、「最近夫が『死にたい』ともらすことがあり、自殺しないか心配している」との相談をしたので、同医師は、精神科・神経科の氏原クリニック(氏原敏光医師)を紹介し、亡昭二は、翌八月五日、同クリニックを受診した。氏原医師によれば、亡昭二は、右受診時、「表情は抑うつ的で、口数は少なく、ポツリポツリと答え、今は夜もあまり眠れなくて睡眠剤をもらっている。テレビを視てもあまり興味がわかない。だから視たくない。人ともあまり話をしたくない。ただじっと寝ている方がいい。ラジオもあまりききたくないとのことで、無気力状態がみられた」という。同医師は、亡昭二の病状を心因反応と診断し、亡昭二の精神面にショックを与える出来事(金銭的損失)があり、そのことを契機にして起こったものであり、抑うつ状態であると診断している。そして、同医師は、軽い精神安定剤と抗抑うつ剤を投与した。

亡昭二は、綾医院に入院中、破産管財人との打合せ等のため、しばしば外泊していたが、盆期間である昭和六一年八月一三日から帰宅し、同月一八日に帰院することになっていた。亡昭二は、本件転落事故の直前である同月一八日午後四時五〇分、綾医院看護婦に対し、「一九日午前一〇時頃まで外泊延期する」旨の電話連絡をなした。

綾正二郎医師は、「亡昭二の狭心症は、労作性、安静型のいずれともいえない非典型的なものであるが、症状としては軽度である。狭心症発作が起こると、最初は胸が苦しい、詰まったような感じであり、ひどくなると胸痛、胸全体が締めつけられるような感じとなる。右発作の継続時間は、数分から長くて二〇分位までである。通常狭心症で突然意識がなくなることはないが、心筋梗塞を起こした場合には、これがありうる。自動車運転中に、狭心症や心筋梗塞の発作を起こした場合でも、余程のことがない限り、自動車を停止させて事故を回避する余裕はある」旨証言している。

(三)  昭和六一年八月一七日(日曜日)、亡昭二は、原告芳子ら肩書住所地所在の自宅で、午前七時頃起床し、午前中は原告芳子が郷土誌を発送するのを手伝ったりし、右原告や原告三千博と普段と変りなく過した。昼食後、午後三時過ぎ頃、亡昭二は、同月二六日に予定されていた第一回債権者集会に備え、池内鉄工建設の事務員であった訴外藤井某の所へ事務打合せに赴き、夕方帰宅した。そして、前記のとおり午後四時五〇分頃、綾医院に外泊延期の電話を架けた。同時刻頃、原告芳子は、夕食の支度をしたり、家庭菜園に水をやったりしており、亡昭二が車で出かけたのに気付かなかった。しばらくして原告芳子に、近所の訴外奴賀フミコが「白いライトバンが海に落ちた」と報らせに来た。同原告は、自宅二階から本件転落現場を眺め、死体が引揚げられ、救急車に積込まれるのを見ていたが、その後警察官が死体の身元確認に訪れ、初めて右死体が亡昭二のものであることを知った。

(四)  本件転落現場は、亡昭二の自宅からさ程距離のない坂出港西築港岸壁であり、東西に幅員約一一メートルの道路が走り、東端で岸壁に突当り、右岸壁に沿い、南北は物揚場となっている。右岸壁東端には、転落防止のため幅及び高さ各一五センチメートル、長さ二〇〇センチメートルのコンクリート製車止めが約三七センチメートル間隔で南北に連なっている。右東西道路を東方やや南寄りに向かって直進した地点にある車止めの上面西角に車の擦過痕が残っていた。本件転落現場付近には他にブレーキ痕等、車の痕跡はなかった。

本件自動車が転落した瞬間を目撃した者はいないが、元大阪府警科学捜査研究所研究員の訴外中原輝史によれば、右車止めの痕跡等からして、本件自動車は、時速五〇キロメートルを超える速度で、直進よりもやや右寄りにハンドルを切るようにして海に向かって進行したと考えられるという。

(五)  死体引揚げ作業に従事した潜水夫の訴外山本長太郎によれば、本件自動車は、岸壁から一〇ないし一五メートル離れた海中に北向きで沈んでおり、ドアロックされていたが、運転席側の窓が一五センチメートル程開いており、エンジンキーはONの状態であった。亡昭二の死体は右自動車後部にあった、とのことである。

(六)  坂出警察署は、昭和六一年八月一七日午後五時一三分、海に車が転落したとの一一〇番通報を受け、同署刑事課鑑識係の訴外成行清、同署刑事課巡査部長の訴外田山寛らが本件転落現場に急行した。前記山本により亡昭二の死体が引揚げられ、救急隊により蘇生術が施されたが、その際右死体から大量の水が出た。亡昭二は、真死と判断されたので、右死体は坂出警察署に搬送され、医師山地貞敏により死体検案がなされた。しかし、解剖はされなかった。

(七)  右医師山地貞敏は、昭和六一年八月一七日付で、まず新聞記事に基づき、「直接死因-水死、その原因-自動四輪車を運転し、海中にとび込んだ、手段及び状況-経営した鉄工所が今年六月に倒産し、体調をくずしていた。母親も数年前から寝たきりだったこともあり、発作的に自殺を図った」と記載した亡昭二の死体検案書を作成した。ところが、原告芳子が抗議してきたので、同原告の言うままに、「直接死因-狭心症、その原因-自動四輪車を運転中海中に転落、手段及び状況-死体の肺中に水を飲み込んだ形跡なく、後頭部に転落時の衝撃による打僕症あり。自動車運転中、狭心症の発作を起こし操縦不能となり転落したものと思われる」と記載した死体検案書を新たに作成し、原告芳子は、これを添付して坂出市長に対し、死亡届をなした。

2  右認定した事実によれば、亡昭二は、遺書こそ書残していないが、その経営する池内鉄工建設の経営不振に端を発し、精神的に無気力となり、抑うつ状態に陥り、家人にも「死にたい」ともらすなど自殺願望を有していたこと、本件転落現場付近の状況及び本件自動車の沈没個所からして、右自動車は相当の高速度で岸壁から転落したものとみられること、亡昭二には狭心症の持病があったが、本件自動車を運転中、狭心症或いは心筋梗塞の発作を起こしたことを窺わせる証拠はなく、かえって前記のとおり、亡昭二の死体から大量の水が出たことから溺死と判断されること、また右発作を起こしたとしても、自動車の操縦が直ちに不能になるとは認め難いこと、等の事実が認められ、右認定事実からすれば、亡昭二は、本件自動車を運転し、同自動車もろとも自ら意を決したうえで海中に飛び込み、死亡したもの、すなわち自殺と推認するのが相当である。<証拠判断略>

よって、抗弁2は理由がある。

三  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告らに対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田肇)

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